「Hoochie Coochie man」– マディ・ウォーターズの歌詞に宿る、不敵な呪力と鋼鉄の意志の哲学

ブルース

マディ・ウォーターズ。その名を聴けば、多くの人がアンプで増幅されたエレキギターの重いリフと、バンド全体を支配する威厳に満ちた歌声を思い浮かべるでしょう。彼が「モダン・ブルースの父」と呼ばれる所以は、その革新的なサウンドにあります。ですが、彼の音楽の真の力は、音だけではありません。彼の「言葉」にこそ、その魂の核心が宿っています。

彼は歌います。「俺はHoochie Coochie manだ」と。彼は宣言します。「俺は“男”になった」と。それは単なる自己紹介や自慢話ではありません。それは、運命さえも自らの手で捻じ伏せようとする、ブルースマンの強靭な意志の発露であり、自己存在を絶対的に肯定する哲学の表明なのです。

この記事では、マディ・ウォーターズの代表曲の歌詞を深く読み解き、そこに込められた呪術的な世界観と、揺るぎない意志について、その背景と共に考察します。


魔術と予言:「I’m Your Hoochie Coochie Man」とは一体何者か?

The gypsy woman told my mother
Before I was born

ジプシーの女が母に言った
俺が生まれる前のことさ

You got a boy child′s coming
Gonna be a son of a gun

あんたの子は男の子
そいつはとんでもない奴になるよ

He gonna make pretty womens
Jump and shout

美しい女たちは
そいつに夢中になって叫ぶようになる

Then the world wanna know
But you know I’m here

やがて世界中が知りたがる
だがもう、お前は知ってる——俺はここにいる

Everybody knows I′m here
みんなが知ってる、俺が来たってな

Well, you know I’m the hoochie coochie man
Everybody knows I’m here

そうさ、俺がフーチー・クーチー・マン
もう誰もが知ってる、俺のことをな


I got a black cat bone
I got a mojo too
黒猫の骨を 俺は持ってる
モジョもある

I got the Johnny Concheroo
I’m gonna mess with you
“ジョニー・コンカールー”の根も手中にある
お前を惑わせ 翻弄してやる

I’m gonna make you girls
Lead me by my hand

女たちよ お前らの手で
この俺を導かせるのさ

Then the world will know
The hoochie coochie man

そうして世界は知る
俺こそが——フーチー・クーチー・マンだと

・・・

1954年にウィリー・ディクソンのペンによって書かれ、マディが命を吹き込んだこの曲は、彼の代名詞となりました。ここで歌われる「Hoochie Coochie Man(フーチー・クーチー・マン)」とは、一体何者なのでしょうか。

歌詞には、「a black cat bone(黒猫の骨)」、「Johnny Concheroo(魔力を持つ植物の根っこ)」、「mojo(お守り)」といったアイテムが登場します。
これらはすべて、アメリカ南部に伝わる民間信仰・魔術「ブードゥー(Voodoo)」で用いられる呪具です。ブードゥーは、西アフリカの信仰が奴隷制下の米国で独自の発展を遂げたもので、逆境を乗り越え、幸運を掴むための実践的な知恵でもありました。

つまり、Hoochie Coochie Man(フーチー・クーチー・マン)とは、単なる色男やタフガイではない。生まれながらにして超自然的な力を宿し、運命を予言され、世界を掌中に収めるべくして現れた、呪術的な存在といえるでしょう。

筆者のひそやかな感想:
マディは、単に「俺はすごい男だ」と叫ぶのではない。彼は、ジプシーの予言、黒猫の骨、征服者の根といった、歴史と魔術に裏打ちされた威力を自らの出自に接続する。彼の重く響く声は、その予言を現実のものとする霊妙な気配を帯び、聴く者に有無を言わさぬ説得力で迫る。

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少年から「男」へ:成人儀礼としての「Mannish Boy」

Oh, yeah
Ooh, yeah
Everything’s gon’ be alright this mornin’

ああ、そうさ
おお、そうさ
今朝は すべてがうまくいく——そんな気がするんだ

Now when I was young boy
At the age of five

まだ小僧だった頃
たった五つの年で

My mother said I’ma be
The greatest man alive

母は言った
「お前はこの世で いちばんの男になる」

But now I’m a man
I made 21

それが今じゃ 本物の男さ
二十一になった俺を見てくれ

I want you to believe me, honey
We’re having lots of fun

信じてほしいんだ ハニー
今 楽しくてたまらないんだ


I’m a man (yeah)
I spell M, A, child, N
That represents man (yeah)

俺は男(そうさ)
つづってやろう M、A、子よ、N
それが“男”ってもんだ(そうさ)

No B, O, child, Y
That spell mannish boy

B、O、Yじゃねえ
それじゃ“まだガキっぽい男”さ


I’m a man (yeah)
I’m a full grown man (oh, yeah)

俺は男(そうだ)
もう十分に育った 本物の男(おお、そうさ)

I’m a man (yeah)
I’m a rollin’ stone (woo)

俺は男(そうだ)
転がり続ける石のようなもんさ(うおお)

I’m a man (yeah)
I’m a hoochie coochie man

俺は男(そうさ)
そう、俺は——フーチー・クーチー・マンなんだ

・・・

この「Mannish Boy」は、ブルースの巨人ボ・ディドリーの「I’m a Man」への、アンサーソングとして知られています(※)。ボ・ディドリーがシンプルに「俺は男だ」と歌ったのに対し、マディは「ガキの頃から偉大になる運命だったが、今や正真正銘の、酸いも甘いも噛み分けた“男”なのだ」と、より誇り高く宣言しているようです。

※ボ・ディトリーが上述のHoochie Coochie Manのリフを拝借してI’m a Manを作成。それに対するアンサーソングとしてMannish Boyを作成

筆者のひそやかな感想:
この曲で繰り返される「I’m a man」という言葉は、単に「自己肯定感」で片づけられものではない。それは、人種差別が横行し、一人の人間としての尊厳さえも容易に踏みにじられる社会の底辺から叩き上げる、魂の独立宣言だ。マディがしゃがれた声で叩きつける「M-A-N」のスペルは、何者にも侵されない自己存在の核を、世界に刻みつける行為そのものである。

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サウンドが言葉に肉体を与える:シカゴ・ブルースと自負の哲学

マディが歌うこの絶対的な自負は、なぜこれほどまでに説得力を持つのでしょうか。その秘密は、彼が創り上げた「シカゴ・ブルース」というサウンドそのものにあります。

故郷ミシシッピで奏でられていたアコースティックなデルタ・ブルースは、個人の嘆きや孤独を表現するには適していたかもしれません。しかし、マディがシカゴの騒々しいクラブで鳴らした音楽は、バンド形式のエレクトリック・サウンドでした。彼の「帝王」然とした歌詞は、アンプで増幅されたエレキギターの重厚なサウンドと、バンドが一体となって生み出す強靭なグルーヴを得て、初めて完全な「肉体」を持つようになったのです。

リトル・ウォルターがアンプに繋いで歪ませたハーモニカは魔術的な空間を演出し、オーティス・スパンのピアノは都会的な洗練とブルースの泥臭さを両立させました。この鉄壁のアンサンブルこそが、マディ・ウォーターズという「王」が君臨するにふさわしい、音の宮殿だったのです。


超自然的な力の顕現:「Got My Mojo Working」

Got my mojo working,
but it just don’t work on you

モジョは効いてるはずなのに
あんたにはまるで通じない

Got my mojo working,
but it just don’t work on you

ちゃんと魔力は働いている
なのに どうしても あんたには効かない

I wanna love you so bad
‘till I don’t know what to do

どうしようもないほど 愛したくて
気が狂いそうなんだ もう何をすればいいか わからない


I’m going down to Louisiana
to get me a mojo there

ルイジアナまで行ってやるさ
向こうで 新しいモジョを手に入れるんだ

I’m going down to Louisiana
to get me a mojo there

ルイジアナまで行ってやるさ
俺の手に 力を取り戻すために

I’m going to have all you women
wretched miles from me

あんたら女たちをみんな
遠くからでも 俺の思い通りにしてやる
この苦しみの距離を超えてでも 従わせてやる

・・・

「Mojo(モジョ)」とは、幸運や異性を惹きつけるための、ウサギの足などを使ったお守りや呪具を指します。この曲でマディは、自分のモジョが強力に「効いている(Working)」と歌いながらも、「お前(意中の女性)にだけは効かない」というジレンマを口にします。

しかし、この曲の真骨頂はライブパフォーマンスにあります。
特に有名な1960年のニューポート・ジャズ・フェスティバルでの演奏では、彼はオーディエンスを煽り、「Got my mojo working!」と何度も絶叫します。その姿は、自らの内に宿る超自然的な力を誇示し、そのパワーで聴衆を支配しようとするシャーマンのようです。たとえ意中の女性一人をコントロールできなくとも、俺の「モジョ」は世界全体を動かす力を持っているのだ、と。ここにもまた、彼の揺るぎない自負が表れているようにも思えます。

筆者のひそやかな感想:
この曲の魂は、スタジオの溝ではなく、汗と熱気が渦巻くライブの空間にこそ宿っている。特にニューポートでの伝説的なパフォーマンスを聴けば、それがよく分かる。彼の「Got my mojo working!」というシャウトは、単なる歌詞ではない。それは、オーディエンスの潜在的なエネルギーに火をつけ、熱狂の共同体へと変えるための呪文(チャント)だ。「モジョ」とは、もはや彼個人の所有物ではない。彼の声を通して会場全体に伝播し、増幅され、その場を支配する巨大なエネルギーそのものへと昇華する。

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帝王と狼:マディとウルフ、二人の「男」の哲学

シカゴ・ブルースの王座には、もう一人、無視できない巨人がいました。
「狼」ハウリン・ウルフです。同じチェス・レコードに所属し、ライバルとして鎬を削った二人の男の哲学は、実に対照的です。

マディ・ウォーターズが歌う「男」が、予言と魔術によって権威づけられた「生まれながらの帝王」であるとするならば、ハウリン・ウルフが体現する「男」は、抗うことのできない「自然の力」や「獣性」そのものでした。

マディは「俺はフーチー・クーチー・マンとして、この世を支配するために生まれてきた」と宣言する一方、ウルフは「俺はバック・ドア・マン(裏口から忍び込む男)だ」と嘯き、その理屈を超えた肉体的な力で、既存の秩序を破壊します。マディが築き上げた宮殿の玉座に座る王なら、ウルフはその宮殿の壁を突き破って現れる狼といえるでしょう。この対照的な二人の存在が、シカゴ・ブルースに圧倒的な深みと奥行きを与えたのである。


まとめ:ブルースに宿る、強靭なる精神の在り方

マディ・ウォーターズの歌詞は、単なるブルースの定型句の寄せ集めではなく、そこには、自己を肯定し、時には超自然的な力さえも味方につけて運命に立ち向かおうとする、強靭な精神の哲学が刻まれています。

彼の音楽は、私たちに問いかけます。君は、自分の人生の主役として、絶対的な自負を持って立っているか、と。彼の言葉とサウンドは、惰性で生きる我々の心をも奮い立たせる、力強い響きを持っています。


FAQ|よくある質問

Q1. フーチー・クーチーやモジョは、実際のブルースマンの文化で一般的だったのですか?
A. はい。これらはアメリカ南部の「ブードゥー」と呼ばれる民間信仰に深く根差しており、多くのブルースマンが歌詞のテーマとして用いました。彼らにとって、それは単なる迷信ではなく、日々の生活や精神世界と密接に結びついた、リアリティのある文化でした。

Q2. マディ・ウォーターズの歌詞は、すべて彼自身が書いていたのですか?
A. 全てではありません。特に彼の代表曲の多くは、チェス・レコードのベーシスト兼ソングライターであったウィリー・ディクソンによって書かれました。しかし、ディクソンはマディの持つ強烈な個性やカリスマ性を理解し、彼が歌うことで初めて命が吹き込まれるような、最高の歌詞を提供しました。

Q3. これらの曲を聴くのにおすすめのアルバムは何ですか?
A. チェス・レコード時代の彼の黄金期をまとめたベスト盤『The Anthology, 1947-1972The Best of Muddy Waters』が最適です。
「Hoochie Coochie Man」「Mannish Boy」をはじめとする代表曲が網羅されており、彼の音楽の神髄に触れることができます。

The Anthology, 1947-1972 Amzon CD
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