- ポップスの歴史を知りたい方
- ロックの源流を知りたい方
- ブルースをこれから探求していきたい初心者
- ブルースをより深く立体的に知りたい方
- ライトニン・ホプキンスを知りたい方
- 音楽を言葉や物語と共に深く味わう体験が好きな方
ブルースには、ある種の「型」が存在します。
12小節という決められた構成(※1)P、3つのコード(※2)が生み出す循環。それは、ブルースという音楽の文法であり、多くのブルースマンがその上で自らの言葉を紡いできました。
※1「12小節」:曲のひと区切りが12小節でできているという意味です。1小節は、だいたい「1・2・3・4」と数える4拍のまとまり。それが12回分続いて、ひとまとまりになります。
※2 「3つのコード」:ブルースでは、基本的にたった3つのコード(和音)しか使いません。たとえば「キーC」の曲なら、G(ドミナント)、C(トニック)、F(サブドミナント)。この3つのコードだけで、曲の土台をつくることができます。
しかし、その常識が全く通用しない男がいました。
その男、ライトニン・ホプキンスの前ではブルースは楽譜や形式を離れ、その瞬間に生まれては消える二度と再現不可能な「生き物」と化します。彼のギターは決まった道を歩むことを拒み、その歌は昨日のことさえ忘れたかのように常に「今」を語り始めます。
なぜ彼のブルースは、これほどまでに自由で予測不能でスリリングなのか?
この記事では、ライトニン・ホプキンスの音楽の本質である「一回性」の芸術と、その哲学に深く迫っていきます。
ブルースの定型を破壊する男:12小節はあって無きが如し

ブルースの基本構造として広く知られる「12小節形式」。
しかし、ライトニン・ホプキンスのレコードを聴いているとその小節数がしばしば合わないことに気づくでしょう。12小節のはずが、13小節になったり、11小節半で終わってしまったりする。
これは彼がリズム感がなかったからという訳では断じてないです。
彼にとって音楽の形式とは、自らの感情や、語るべき物語に従属するものであったと考えられます。
歌いたい歌詞が長ければ小節は自然と伸び、気分が乗ってギターソロを弾きたくなれば、構成は躊躇なく変更される。この彼の体内時計だけでコントロールされる独特のタイム感は、畏敬の念を込めて「ライトニン・タイム」と呼ばれています。
彼にとってブルースとは、決められた枠に感情を押し込めるものではなく、感情の形に合わせて自在に姿を変える粘土のようなものだったのでしょう。
「バックバンド泣かせ」の伝説:彼の気分こそが譜面だった

彼のこの徹底した即興性は共演者にとってはいかに困難なものであったか、数々の伝説が残っています。セッションの録音中、彼は何の前触れもなく突然曲のキーやテンポを変えてしまう。
必死に彼のギターに合わせようとするバックバンドの面々が、慌てふためき、演奏が混乱する様子が、そのままレコードに収録されていることさえあります(※1)
※1 録音例: 1969年の『The Great Electric Show and Dance』アルバム
しかし不思議なことに、そのハプニングや演奏のズレこそが、彼のレコードに他のブルースマンにはない生々しいリアリティと、一触即発のスリリングな緊張感を与えています。スタジオは完璧な作品を作る場所ではなく、彼の「今」を記録するためのドキュメンタリーの現場と化しました。彼の気分こそがその日唯一の譜面だったのである(※2)。
※2 とはいえ演奏のクオリティは非常に高いです…
なぜ彼は即興にこだわったのか?ブルースという「生きた会話」

ライトニン・ホプキンスは、なぜこれほどまでに即興性にこだわったのでしょうか。
それは彼にとってブルースとは、あらかじめ用意された「作品」を披露することではなく、その場にいる聴衆やその日の出来事と交わす「生きた会話」そのものだったからです。
彼の歌詞の多くはその場で即興的に作られたと言われています。
刑務所での過酷な体験、昨晩出会った女とのいざこざ、テキサスを襲った洪水の話、あるいはただ、その日に感じた憂鬱。
彼は自らの人生で起こる森羅万象をギターを片手にブルースへと昇華させました。
彼にとってギターを弾き、歌うことは、呼吸をするのと同じくらい自然で日常的な行為でした。ブルースは彼が世界と対話するための最も身近な言語だったのです。
初心者におすすめの3曲:一回性の芸術に触れる
彼のブルースが持つ、二度と再現不可能な「一回性」の魅力。
その神髄に触れるためにまずはこの3曲から聴き始めることをお勧めします。
1. Mojo Hand (モジョ・ハンド)
彼の代表曲の一つであり、ヴードゥー教(※)のお守りである「モジョ・ハンド」をテーマにしたミステリアスでグルーヴィーな一曲。親指が刻む反復的なベースラインの上を、彼の切れ味鋭いギターと、語りかけるようなヴォーカルが自由に踊ります。歌詞の物語と即興的なギターフレーズが一体となって、聴く者をテキサスの土の匂いがする、呪術的な世界へと引きずり込んでいきます。
※ヴードゥー教:西アフリカの宗教を基盤に、西インド諸島のハイチでカトリックの影響を受けて成立した民間信仰です。奴隷貿易によってアフリカから連れてこられた人々が、故郷の信仰と現地の宗教を融合させて生まれました。
筆者のひそやかな感想:
男の指先からこぼれる音は乾いた砂の粒のように、さらさらと寂寥とした夜に落ちてゆく。
その砂はやがて小さな渦となり名もなき呪文を唱える。
抗おうとする心さえすでに音の中に溶けていた。
夏の夜、窓辺をかすめる熱く気怠い風のように、どうにもならぬものがそっと身体を包んでいる。
ブルースとは、かくも甘やかで優しい呪いであろうか。
2. Katie Mae (ケイティ・メイ)
アコースティックギター一本で弾き語られる、シンプルなスロー・ブルース。
しかし、そのシンプルさの中にこそ彼の真髄が凝縮されています。
「ケイティ・メイ」という女性の名を、ただ呼びかける。
その呼びかけの合間に挟まれるギターのフレーズは、言葉にならない感情のすべてを物語ります。
彼の自由なタイム感、親指が奏でるベースラインの躍動、そして人差し指が弾くブルージーな旋律。
彼の「一人アンサンブル」の魅力を堪能できます。
筆者のひそやかな感想:
女の名を呼ぶ声があった。
かすかに優しく、ほとんど風のようであった。
ギターの音は、遠くで上がる花火のように、ぽつり、ぽつりと夜の帳に消えてゆく。
届かぬものをただ見つめるまなざし。
あきらめと憧れがひとつになったような音の佇まいであった。
水面に浮かぶ月をすくおうと差し出した手のひらの、
そのわずかな震えに、
私はふいに美しさを見た。
3. Bring Me My Shotgun (ブリング・ミー・マイ・ショットガン)
「俺のショットガンを持ってきてくれ」という、物騒なタイトルと歌詞が印象的な一曲。
しかし彼の歌い口には、深刻さよりも、むしろブラックユーモアに近い飄々とした雰囲気が漂います。
裏切った女とその相手を待ち伏せる男の物語。
その場の思いつきで付け足されるような即興的な歌詞と、危険な切れ味を持つギターリフが聴く者にスリリングな緊張感を与えます。
筆者のひそやかな感想:
男はひどく乾いた声で、恐ろしいことを口にする。
しかし、その傍らには冬の陽だまりのような、微かな温もりがあった。
ギターの音がその冷たさをそっと和らげる。
言葉の陰にひそむ哀しみと、どうしようもない滑稽さが、
すこしだけ、こちらへと顔を覗かせる。
風のない荒野にただひとり男は立っている。
その孤独な姿に、私はなぜか懐かしさを覚えるのであった。
まとめ:ブルースの魂は、その瞬間に宿る
ライトニン・ホプキンスの音楽は、楽譜やレコードというメディアに完全に閉じ込めることのできない類のものです。彼のレコードを聴くという行為は、完成された芸術作品を鑑賞するというよりは、彼が生きたある一瞬の「記録」に触れるという体験に近いです。
彼のブルースは、常に「今、ここ」で生まれていました。
だからこそ、その音楽は半世紀以上の時を経てもなお、少しも色褪せることなく我々に生々しい衝撃を与え続けています。ブルースの魂とは、完成された形式の中ではなく二度と繰り返されることのない、その「一瞬」にこそ宿るのだということを、ライトニン・ホプキンスは、その生涯を通じて我々に教えてくれるかのようです。
FAQ|よくある質問
- Qライトニン・ホプキンスのギター奏法の特徴は何ですか?
- A
彼はピックを使わず、親指と人差し指だけで演奏する「フィンガーピッキング」スタイルが特徴です。親指でリズミカルなベースラインを弾き続け、人差し指でリードフレーズやコードを弾くことで、一人でバンドのような豊かでグルーヴィーなサウンドを生み出しました。
- Q彼はなぜ「ライトニン(稲妻)」と呼ばれるのですか?
- A
レコードデビュー当時、よくコンビで演奏をしていたピアニストのサンダー・スミスのサンダー(雷)にちなんで自らをライトニン(稲妻)と名乗るようになりました(出典:wikipedia)。
彼の切れ味鋭いギターにぴったりの名前と言えるでしょう。
- Q彼のレコードは膨大にありますが、どれから聴けばいいですか?
- A
彼のキャリアは長く録音も多岐にわたりますが、まずは彼のスタイルが確立された初期の録音である、テキサスのゴールド・スター・レコード時代の音源を集めたコンピレーション盤がおすすめです。また、1960年代のフォーク・リバイバル期に録音された、トラディション・レコードやプレスティッジ・レコードでのアコースティックな作品も、彼の魅力がダイレクトに伝わってきます。

二十四歳。
夜の静謐と孤独の狂熱、埃をかぶった古いレコードの中に生の輪郭を見出しています。
デルタ・ブルースの倦怠、オルタナティブ・ロックの退廃、そのいずれにも通底する幽かな魂の震えに興味を持っています。
このブログでは20世紀のポップスの音楽の感想・解説を投稿します。
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