全てはこの男から始まったー【デルタ・ブルースの父】チャーリー・パットン

ブルース
この記事は、こんな方におすすめです
  • ポップスの歴史を知りたい方
  • ロックの源流を知りたい方
  • ブルースをこれから探求していきたい初心者
  • ブルースをより深く立体的に知りたい方
  • チャーリー・パットンを知りたい方
  • 音楽を言葉や物語と共に深く味わう体験が好きな方

ロバート・ジョンソンが悪魔に魂を売る以前、
マディ・ウォーターズがシカゴでブルースを電化する以前、
そして、B.B.キングが王として君臨する遥か以前。
ブルースの歴史、ひいては20世紀ポピュラー音楽の全ての物語は、ミシシッピ・デルタの泥の中から始まりました。そして、その創世記の中心には常に一人の男がいました。

チャーリー・パットン

彼こそがまだ輪郭の曖昧だった黒人音楽の断片に強靭なリズムと生々しい魂を吹き込み、
「デルタ・ブルース」という名の新たな神話を創造した男です。
ハウリン・ウルフが吠え方を学び、ロバート・ジョンソンがその背中を追いかけた、
伝説の中の伝説。

この記事では「デルタ・ブルースの父」と呼ばれる彼の功績を辿り、我々が知るブルースという音楽の「始まり」の瞬間に迫っていきます。


パットン以前、ブルース以前:音楽は何を歌っていたか?

チャーリー・パットンがいかに革命的であったかを知るためには、まず彼以前の音楽の風景を理解する必要があります。19世紀末から20世紀初頭にかけてのアメリカ南部には、フィールドハラー(労働歌※1)やスピリチュアル(黒人霊歌※2)、ラグタイム(※3)、そしてバラッド(物語歌※4)といった、多様な音楽の源流が渦巻いていました。
※1 フィールドハラー:アメリカ南部の黒人労働者たちが、綿畑や鉄道工事などで働きながら歌った独り言のような叫び声や歌。リズムやメロディは即興で感情や疲労を吐き出すように歌われ、後のブルースやジャズの元になった音楽
※2 スピリチュアル:奴隷として連れてこられたアフリカ系アメリカ人が、キリスト教の教えと希望を込めて歌った宗教歌。「苦しみの中にも救いがある」というメッセージがあり、ゴスペルやソウル音楽の源流にもなりました。
※3 ラグタイム:19世紀末に流行した、ピアノ曲中心のリズムが跳ねるダンス音楽。
「メイプル・リーフ・ラグ」などで知られるスコット・ジョプリンが代表的で、ジャズの前身とも言われます。
※4 バラッド:昔の出来事や恋、殺人、冒険などを物語として歌にしたもの。
ヨーロッパ(特にイギリス・アイルランド)由来のスタイルで、アメリカ南部にも伝わり、フォークやカントリーの基礎になりました

しかし、我々が今日「ブルース」として認識する特定のコード進行や、ギターを中心とした力強いリズム、そして個人的な苦悩や喜びを歌うという様式はまだ完全には確立されていませんでした。ブルースはまだ名もなき、混沌とした感情の奔流だったのです。


デルタ・ブルースという「発明」:彼が確立した3つの要素

その混沌とした音楽の坩堝の中から明確な個性と様式美を持つ「デルタ・ブルース」というジャンルを抽出し、定義づけたのがチャーリー・パットンでした。
彼の功績は、大きく三つの「発明」に集約されます。

1. パーカッシブなギター:弦を弾き、ボディを叩く

パットンのギターは、単なるメロディ楽器や伴奏楽器ではありませんでした。
それは彼が一人で操る、獰猛なリズム・セクションでした。
彼は弦を力強く弾くだけでなく、ギターのボディを叩き弦を指でスナップさせ、あらゆる方法でパーカッシブな音を出しました。
彼の演奏を聴けば、ブルースの心臓部がメロディではなく、抗いがたいダンス・リズムにあることが分かります。この「ギターを打楽器として扱う」という思想は、後のブルースとロックンロールの根幹を成すことになります。

2. 唸るような声:大地から湧き上がる歌唱

彼の歌声は洗練とは無縁です。
しゃがれ、ざらつき、時に唸り声や叫び声のように響きます。
しかし、その声にはミシシッピ・デルタの大地そのものから湧き上がってきたかのような、圧倒的な力とリアリティがありました。
綺麗に歌うことではなく感情をありのままに、生々しく聴き手に叩きつける。
このスタイルは若き日のハウリン・ウルフに決定的な影響を与えました。

3. 物語を語る歌詞:ブルースは、その日のニュースだった

パットンは、デルタの吟遊詩人でありジャーナリストでした。
彼は自身の恋愛や喧嘩といった個人的な出来事から、1927年のミシシッピ大洪水(High Water Everywhere)、刑務所での体験(High Sheriff Blues)、さらには聖書の物語まで身の回りの森羅万象をブルースの題材としました。
彼はブルースを単なる気晴らしの歌から、時代と人間を記録する物語の器へと昇華させたのです。


初心者におすすめの3曲:ブルースの設計図を聴く

チャーリー・パットンが創造したブルースの「原型」。
その設計図を、まずはこの3曲から聴き解いてください。

1. Pony Blues (ポニー・ブルース)

1929年に録音された彼の最初のヒット曲にして、その名をブルースの歴史に刻んだ代表曲。
馬に乗り、愛しい女の元へ向かう男の姿を歌ったこの曲には彼のスタイルのすべてが詰まっています。
躍動するパーカッシブなギターのリズム、自信に満ちたしゃがれ声、そして鮮やかな情景描写。
これぞ、デルタ・ブルースの原点にして頂点である。

筆者のひそやかな感想:
その音は、乾いている。夏の午後の、乾いた土を馬の蹄が蹴り上げる音のようだ。男の歌声は、決して感傷に流れぬ。むしろ、そのからりとした響きの奥に、拭い去れぬ孤独の影が、ふとよぎる。それは、自由という名の、束の間の幻であったのかもしれない。

2. High Water Everywhere, Part 1 (ハイ・ウォーター・エヴリウェア パート1)

1927年にミシシッピ川流域を襲った、アメリカ史上最悪の自然災害「ミシシッピ大洪水」の惨状を生々しくレポートした歴史的ドキュメント。
堤防の決壊を思わせるような激しいギターから、彼の表現者としての凄みが伝わってきます。
「主よ、私はどこへ逃げればいいのか」と繰り返す彼の声は、一個人の嘆きを超え時代全体の不安そのものとして響きます。

筆者のひそやかな感想:
水が音もなく昇る。
空を映す冷たい鏡のように。
男の声は、その水面にたゆたう小さな舟にすぎない。
けれど、その舟は沈まない。
ただ、そこにある現実を、濁さず、誇張せず、淡々と語り継ぐ。
悲しみの渦中にありながら、人はかくも静かに、美しく記録者たり得るのだろうか。

3. A Spoonful Blues (スプーンフル・ブルース)

ドラッグ(コカイン)への渇望を「スプーン一杯」という言葉に託して歌った、強烈な一曲。
取り憑かれたように繰り返される「a spoonful」というフレーズと、執拗なギターのリズムが抗えない欲望の恐ろしさを描き出します。
この曲のテーマとメロディは、後にハウリン・ウルフが歌い、クリームがカバーしたブルースの聖典「Spoonful」の直接的な源流となりました。

筆者のひそやかな感想:
スプーン一杯──
それは神をもてあそぶ祈りのように、何度も唇にのぼる。
ギターの響きは、毒に染まった男の熱に浮かされた脈拍のようで、甘く、苦い。
破滅と知りながら、なお一瞬の温もりに手を伸ばす。
その愚かしさが、人間という生きものの、美しくも哀しいさがであろう。
夕暮れの残照のようなどうしようもなさが微かな光を放っている。


まとめ:ブルースのDNAを創造した男

チャーリー・パットンは、単なる古いブルースマンではありません。
彼は一つの音楽ジャンルの文法と語彙をその身一つで創造した偉大な発明家です。
彼が遺したレコードは音質こそ悪いかもしませんが、そこにはその後のブルース、そしてロックンロールの発展の可能性が種子として内包されています。

我々が今聴いている音楽のDNAを遥かなる源流へと遡っていくと、その始まりの場所にはミシシッピの埃っぽい道端で、力強くギターを叩き、しゃがれた声で世界のすべてを歌おうとした、一人の男の姿が必ず見えてくるのです。


FAQ|よくある質問

Q
チャーリー・パットンは、本当に「最初の」ブルースマンなのですか?
A

彼以前にも、ブルースの源流となる音楽を演奏していた人々は数多く存在したと考えられています。しかし、チャーリー・パットンはデルタ・ブルースという明確なスタイルを確立し、それをレコードという形で後世に遺し商業的にも成功を収めた「最初のスーパースター」と言えます。その影響力の大きさから、「デルタ・ブルースの父」と呼ばれています。

Q
彼の音楽を聴きたいのですが、おすすめのアルバムはありますか?
A

彼の録音はSPレコードが原盤のため音質は決して良くありません。しかし、その音楽の力を体験するには、彼の全録音を網羅したJSPレコードのボックスセット『The Complete Recorded Works』や、音質を向上させたYazooレコードのコンピレーション盤『Founder of the Delta Blues』などが決定版としておすすめです。


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